〜団塊世代への伝言「スバルの車作り」〜 スバルデザイナー放浪記 碇穹一(Kyuichi Ikari) ………………………… P132 13.アルシオーネの内外装デザインを担当  1981年2月に帰国した時、三世代目のレオーネの開発が進んでいた。セダンのデザインは意外に淡白で明快だが、整い過ぎているような印象を受けた。しばらくして開発状況が解ってくると、「クリスプ」というキーワードが作用していることに気付いた。「明快で切れがいい」という意味である。すでにエクステリアデザインの大半は完成していた。  最終段階の仕事としてはホイールキャップなどの部品デザインが残されていたので、しばらくの間は部品のデザインをやっていたが、着手したばかりの2ドア・スペシャリティは4分の1モデルの制作を始めるところだった。何人かのチームでスケッチを描いて、会議室の壁に貼り、方向性を検討していた。  やがて、加藤デザイナー直下のデザイン担当として、スケールモデルの制作にとりかかった。初めの頃は共用部品が多い設定の案で進めていたが、なかなかゴーサインが得られず、共用部分やドアの窓肩の高さなどの設定を段階的に変えながら三体目まで造ったところで、ふんぎりがついた。  4サイクル目でウェッジシェイプを強く出したところがポイントとなり、私ばかりでなく、杉本清、加藤秀文も加わって、何人かで余分なボリュームを思い切って削りとった形にした。この時点で、先が見えてきた。また、これに先立って、スバル・オブ・アメリカのラム社長の要望として提示されていたのが、ベルトーネ社でガンディーニがデザインした「アスコット」の写真だった。ようやく、イメージ上の共通性もでてきたことや、目標の空力値の達成にも見通しが出てきたので、高橋三雄担当部長の承諾が得られた。  地道な改良を積み重ねた空力チームとデザインの連携作業が、やっと報われる時がきたのだ。特に厳密に設定されたのはリアフードの後端の高さで、これよりも低くても高くても空力値が悪くなることが判った。  この時はまだ、エンジンフード中央には未解決の大きな突起状の塊が残っていたが、担当部長の思惑もあってスタイリングを優先する形で押し通すことにした。検討が進むに従って、その出っ張りも、やがて変更の可能性が出てきた。いいものを見せれば、設計者もその気になるものだよ、と言った高橋担当部長の作戦勝ちである。立体で確認しながら、必要な変更を繰り返すというスバルのやり方には珍しく、ほぼスケールモデルの原型のままフルスケールに移行し、オリジナルの形が残されていった。 P135 14.意欲的なインテリアデザインの誕生  エクステリアが一段落したところで、今度はインテリアをやれという指示で、スケッチでの検討とクレーモデルでの確認という、両面での模索が始まった。まずは核となるインパネ造形に取り組んだが、造っても、造っても長岡章本部長の承諾が得られず、大変な想いをした毎日だった。疲れ果て、やけくそになったり、立ち尽くしたりの連続であった。しかし、手早くクレーモデルを変更することにも慣れ、スケッチによる方向付けも併用して、やがて、峠を越えることができ、意欲的なインパネ造形が完成した。  センターパネルとメーターバイザーは大きく一体形状を保ち、メーター部分は別物としてステアリングシャフトの上にのったまま、上下に移動した。また、シャフト方向にホイールの前後ストロークも可能にした。また、ライトとワイパーの操作は、ステアリングシャフトと一体で動くようにするため、シャフトから太い角のような形を左右に延長して、先端にポッド上の部品をつくり、そこにスイッチ類を配列するようにした。まだ、マルチレバーが一般化する前のことで、このレイアウトにより、ステアリングホイールの近くに操作スイッチを配置することが狙いだった。  メーターは通常の円形メーターが付いたアナログタイプの他に、全面液晶パネルのデジタルタイプも用意された。速度表示の下には若いデザイナーによる、大胆にパースがついたターボのブースト表示が目立っていた。ATレバーは宇都宮の航空部門まで、わざわざ見に行った対戦車ヘリコプターの操縦桿のイメージそのものだった。このように、いままでにない複雑な要素が織り込まれていたが、設計者の熱意と工夫に支えられて、ハイテク感に満ちたインテリアデザインが誕生したのだ。一台の車の内外装を一人のデザイナーが担当することはスバルでは始めてのことだった。  アルシオーネはBRATに続き米国市場専用車として開発され、SOAのラム社長の意向が強く反映された企画となった。ある程度、デザインイメージの定着に影響を与えたと見ることもできる。  たとえば、側面中央部に水平に走る溝の断面が後端のコーナー付近から、横に長いリアコンビと同化して、同じ幅で後ろまでまわる手法は、彼のイメージに合致するものだった。  また、別のアイディアとして、リアのランプの間に電光掲示板を設け、後続車へ文字を出してメッセージを伝える、という案を出したそうである。これには法規上の問題があるということで、採用されはしなかった。  また、アルシオーネではないが、実現されなかったアイディアの例としては、1979年にラム社長の要請で550ccのエンジンを載せた2シーターの検討をしたこともあるので、米国市場に興味があった私としては、この「アルシオーネ」の開発に携わったことは自身の代表作として、また、社長表彰を授与されたことを含めて記念すべきプロジェクトになった。 ▼挿絵1 高速4WDを意識した意欲的なデザイン。担当部長の強い意志で空気力学上の目標値Cx0.29を達成。自社の大型風洞はなく、空力チームは宇都宮の航空機用の機材を応用したスケールモデルの実験と谷田部での実車の風洞実験を繰り返した。 ▼挿絵2 ガンディーニのアスコット。最初から意図した訳ではなかったが、結果として、ウェッジシェイプの共通性がある。グリーンハウスは著しく異なる。 ………………………… 著者略歴 碇穹一 Ikari Kyuichi 1944年 千葉県生まれ 1969年 武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科卒業 同年 富士重工業株式会社入社・スバル技術本部デザイン課配属 1980年 アートセンターカレッジ・オブ・デザインへ留学 1985年 スバルデザインセンター東京別室勤務 1990年 欧州駐在 1995年 スバルデザインセンターARIO(東京)勤務 2000年 しげる工業株式会社開発部へ出向 2004年 スバルカスタマイズ工房へ移籍 2005年 退職 ………………………… 2006年12月1日発行 群馬出版センター 定価1200円